国立西洋美術館

上野駅は行き慣れてるけど、やっぱり公園口は雰囲気が違う。
修学旅行とか、校外学習とか、観光とかで、繁華街ではあまり見かけないタイプの人が沢山いる。
特に多いのが制服を着た子たち。
それから、おじさん おばさん おじいちゃん おばあちゃん。
公園なだけあって緑も多いし。
なんか新鮮。
西洋美術館は美術館独特の時間が止まったような空間で、気分がよかった。
もしかしたら、心が洗われるってこういうことを言うのかも。
館内には大学生と思われる人が何人か居て、展示を見ながら一生懸命何か書いていた。
たぶんレポートかなにかの課題だと思う。
私も大学の頃にそういう課題出されたことある。
やれって言われてやることにあんまり意味を見出せないタイプだから、私にはその課題、あんまり役に立たなかったな。
順路は歴史的に古い順だったので、17世紀以前のイタリア絵画からスタートした。
中世の絵画にはキリストの宗教画がとても多い。
私はキリスト教をよく知らないし、宗教というものについて深く理解はしていない。
芸術の中でモチーフとして使われる時には、
精神世界を現すようなものだと私は認識している。
人間の内面の強さ、弱さ。欺瞞、悲しみ、重みを感じる。
絵の中で善と悪が浮き彫りにされる。
私は疑いようも無く「悪」だと思われるようなことは何もしていない。
その一方で、自分はまだ大事なことを何も成してないと思った。
悲観とかではなくて。
心の奥底にあるものを外側から見ているような、不思議な、やや辛辣な気分にさせられた。
『果物籠のある静物』(コルネリス・ド・へーム)
に目が止まる。
そして、急に思い出した。
私、ここに来た事ある!
なんでここまで気付かなかったんだろうと失笑しつつ、自分の記憶力の無さに驚く。
確かに、高校2年の時に芸術鑑賞で来た事があった。
この絵と、その隣にある『猟の獲物と野菜のある静物』(アドリーン・ファン・ユトレヒト)だけは妙に惹かれたのを思い出した。
初めて見たとき、胸がドキッとしたんだった。
これから食べられる兎や鴨の死体。
生き物でもなく、かといってまだ食材と呼ぶには早過ぎるモノをリアルに見せつけられて、
そこに自分達の罪の重さを目の当たりにしたような感覚。
あの感覚は今でも覚えている。
食べるということの罪深さ。
猟の獲物を見る前と後では、果物籠が違って見えた。
あの時も、今日も。
特別展も回った。
オーギュスト・ロダン、ウージェーヌ・カリエール展。
勢いでチケット買っちゃったけど、ロダンにも彫刻にも詳しくないし…。
ぐるっとで100円引きでチケットは1200円だった…高い。
| 固定リンク

コメント